2017年2月10日金曜日

権力者の表現の自由

 わたしは、不用意に否定的な行為をすることが嫌いです。わたしは、他者の価値観の違いを認めることが大事だと思いますが、否定的な行為を好むような他者の価値観は認められません。

 最近、アメリカ大統領についての報道から学ぶことがとても多いように思います。
 メディアや権力者が発信する意見について、従来は、公共性、協調性などを意識した「形式的なパターン」があったように思います。現在では、それが変わったように思えますし、そのことに影響されるひともいます。そうしたことは、他者に対する意見の発信のあり方を見つめ直す機会になりました。
 例えば、アメリカ大統領に対して不信感を持っているひとが過度に否定的な行為をすれば、わたしはその否定的な行為を否定します。そして、アメリカ大統領が否定的な意見を発信すれば、同じくその内容が過度であれば否定します。

 わたしは、何をどのように否定するのかという否定の内容だけではなく、否定という行為そのものが否定されるべきものだと思います。何だか、ひとを否定することで自身が相対的に正しいということをアピールしようとしているように見えるからです。そうすることで自身の評価が上がるわけではなく、むしろ、評価を下げているのに。

 わたしは、アメリカ大統領の不人気が彼の身内のビジネスに波及したことについてメディアを通して見聞きしました。その報道内容は、政治家に対する世論の反発が他方面に波及したことを伝えるものというよりも、大統領がSNSで発信した否定的な意見を焦点にしていました。
 わたしは、メディアの視点が偏重していることは問題だと思いますし、報道内容が事実だとしても、客観的、中立的に捉えられているとは限らないと思いますが、今回の論点は他にもあります。彼の発信が、公私混同に当てはまるのか、それが問題です。

 結論からいうと、彼の立場を考えれば際どい判断になるものの、わたしは公私混同ではないと思います。 例え政治家とはいえ、一国民です。大統領用のSNSのアカウントを使って発信したのであれば、その内容は政治的な色合いを持ちますが、プライベートなアカウントを使って意見を発信する表現の自由は保障されるべきだと思います。
 例えば、彼の身内のビジネスに否定的な措置をとった店舗を利用しないことを支持者に求める意見を発信すれば、それは対抗措置であり、政治権力を私益のために濫用することになります。一方、彼の発信は、否定的な措置をとった店舗が気に入らない、自身は身内のビジネスを評価している、という内容でした。政治権力を濫用するような性格の発信ではないし、一国民として表現の自由を行使したことに過ぎないと思います。

 そこにあるのは、法的な問題ではなく、道徳的な問題です。わたしは、今回の報道について、メディアの視点を評価しませんし、大統領の発信も評価しません。どちらも、社会的な影響力が強いにも関わらず、感情が先走っているように思えます。