出身地のスーパーが、三月いっぱいで店を畳む。唯一のスーパーであり、地域からスーパーが消える。
わたしが幼少の頃に、母ときた記憶がある。母とレジに並んでいると、後ろに並んでいた高齢の女性が、わたしを女の子だと間違えて、「可愛い」と言ってくれた。母が、男の子だと伝えると、女性は謝ったが、わたしは嬉しかった。それだけの記憶であるが、わたしの大事な記憶の一つになっている。
わたしは、今日、そのスーパーへ足を運んでみた。買いたいものはなかったが、閉店前に、店内の様子を見てみたかった。
店の前へ行き、昨日に見た「三割引」の貼り出しが、「五割引」になっているのを見て、いよいよ閉店なんだと実感した。貼り出しには、「27年間の御愛顧を感謝しております」と書いてあった。わたしが生まれるより前から営業しているスーパーが閉店すること、そこにわたしがいることを感慨深く思った。
店内は、精肉など最小限のものを仕入れて、惣菜は作っていないことが見てとれた。「何か買わなきゃ」と、店内を見て回った。
「□□くーん」、親しげに誰かを呼ぶレジの女性の声が、お世辞にも広いとはいえない店内に鳴り響く。ここにも小さな社会があって、こうした平和な日常が明明後日まてでおわる。
滅多に立ち寄ることのなかったスーパーであるが、ないと寂しい。利用しなくても、スーパーが日常の景色の一部になっていたことに気づいた。
母と以前にきたスーパー。当時幼かったわたしが成長して、今日は付き添いなしで買い物にきている。
売り場でビニール紐を見つけて、引っ越しする身内の荷づくりのために必要であることを思い出した。ビニール紐は「割引対象外」の籠の中にあり、高価だったが、そのスーパーの売り物という付加価値がある気がして、自然と手がのびた。今月で店をしまうスーパーと、来月に新居へ引っ越しする身内が対照的で、ビニール紐が時代の変化をつなぐ象徴のように感じられた。
わたしが利用しない間にも、スーパーは営業を続けていて、今日、幼少の頃の記憶を思い返す機会をくれたことを、とてもありがたいと思っている。閉店前に買い物することができてよかった、本当に。