2017年6月28日水曜日

物語の勇者

 わたしは、4月から小説を読んでいる。実に、中学生のときに読んで以来である。
 以前は、頻繁に物語を読んでいた。しかし、最近は、読みたいと思いながらも、結局、他のジャンルの書籍を手にすることが多かった。だから、今回の読書は、わたし自身、物語の世界観を楽しむというだけでなく、懐かしさという意味で、格別のものがある。

 読書では、物語の主人公と、その他の登場人物の関係について、いろいろと考えを巡らす。

 わたしは、読んでいるうちに、以前とは物語に接する視点が変わっていることを自覚した。物語の主人公はもちろん、その他の登場人物の視点を、以前よりも重視して考えるようになった。
 物語の主人公は勇者なのか?敵として描かれる登場人物の立場から見ると、主人公はどのように見えるのか?
 そのような議論は、結局のところ、「正義とは何なのか」を考えることであり、「敵対する価値観がぶつかったときに、どのように解決をするのか」、「敵が悪であれば、抹消してもいいのか」という自身への問いかけである。

 物語とは、一般的に、善人は報われて、悪人は懲らしめられるという教訓を示すものである。しかし、善人が報われる、悪人が懲らしめられる過程は、必ずしも正当な手段によるとは限らない。

 身近な、昔ばなしに置き換えて考えると分かりやすい。
 物語の主人公が、「悪人の家宝を窃盗、それを利用して裕福になる」というパターン、「悪人と戦い、打ち倒して称賛を得る」というパターンが、定番である。物語では、主人公が幸せになってハッピーエンドであるが、悪人にも、悪人の生活があるのである。法律のない世界が舞台であるとしても、窃盗や暴力により資産や名誉を得る主人公が、読者の手本になり、教訓を与え得るのかということには疑問が残る。
 だから、わたしは人間の人格形成に影響するであろう「絵本」のあり方に、疑念を持っている。物語の勇者は、大抵、敵に奇襲攻撃を浴びせて、生活を破壊する。そして、ときには、残虐な手段をとることもいとわない。

 物語を読む上で、どの登場人物に視点を置くのかによって、主人公のイメージはかなり違ってくる。
 
 例えば、猿蟹合戦。子蟹が、仲間とともに敵討ちを果たす物語。悪は懲らしめられるという教訓であり、ここで、悪とは猿のことを指している。
 しかし、子蟹が猿を懲らしめるためにとった、「敵討ち」という手段の正当性には疑問がある。子蟹もまた、猿と同様に悪ではないのか。
 例えば、柿の木の立場から見ると、猿蟹合戦の物語は次のようになる。

  1. 蟹「早く芽を出せ柿の種、出さぬと目玉をちょん切るぞ」、と表現。
  2. 柿の木が急速に成長。
  3. 更に、蟹は柿の木に対して、早く実をつけるように促す。
  4. 柿の木はたくさん実をつける。
  5. 猿が登場、蟹は青い実を投げつけられて潰される。

 柿の木の立場から猿蟹合戦を考えると、蟹が悪であり、脅迫により、他人を思い通りに動かそうとするとバチが当たるという教訓を示している。結果的に、柿の木は、蟹による脅迫から解放される。
 一方、猿は、蟹が柿の木を脅迫していた事実を知らないだろう。猿は、蟹に青い実をぶつけると潰れることは容易に想像できたのにも関わらず、「実をとって欲しい」という要求が耳障りだという身勝手な理由で投げつけた。猿の行為は、結果的に柿の木を守ったとはいえ、正当性はない。

 物語では、蟹が潰れると、たくさんの子蟹が産まれた。子蟹たちは、敵討ちのために、栗、蜂、牛糞、臼と共謀して、猿を懲らしめることを計画。そして、猿の留守を見計らって、住居に侵入、猿の帰りを待ち伏せて奇襲攻撃で畳み掛ける。
 まず、猿がいろりに当たると、加熱された栗が猿の目をめがけて体当たり。猿がやけどをして水瓶に向かうと、待ち構えていた蜂が傷口を突き刺す。そして、猿は慌てて外へ飛び出そうとしたが、待ち構えていた牛糞に足をとられて転倒。屋根の上で待ち構えていた臼が、猿の上に飛び降りてとどめ。
 敵討ちは成功した。しかし、子蟹たちは、復讐心から共謀して、計画的に猿への攻撃を遂行した。物語は、めでたしめでたし、という言葉で締め括られる。

 結局、見方によっては、蟹、猿、子蟹の全てが悪である。安易に他者を攻撃できる社会であり、物語の全体を通しては、法律がないことは恐ろしいという教訓を示している。

 もちろん、読み方はひとによる。物語の主人公に感情移入する読み方もあるだろうし、むしろ、そちらの方法が一般的である。わたしは、登場人物の多様な価値観を意識するが、自身の考え方や、他のジャンルの書籍の読み方が影響しているのだろう。