2016年3月25日金曜日

福寿草に肖る


 本月、七日。
 祖父と福寿草の群生地に行ったときの話。


 このようなパワースポット的な雰囲気を感じる場所では、縁起物に肖りたいと思ってしまうものです。その場所がパワースポットであるという根拠や逸話はないのですが、ありがたい感じがしました。わたしは、「福寿草」は「ふく、ことぶき、くさ」であるからそう感じるのか、そもそもそういう名前がついているのは何らかの理由があるはずだとか、とりとめのない考えを巡らせましたそれがこんなに咲いているなんて、どれだけ縁起のいいことやら。



 ただし、縁起物を見たところで、わたし自身、事実として何も変わってはいないとも思ってしまう。肖りたいと思うだけでは他力本願であり、ここで絶対的に必要なのは幸福になるための行動だと、自分に言い聞かせる。
 何か気分もリフレッシュできたし、日々のモチベーションを維持する効果はありました。わたしは、 「パワー?」を活かせそうです。

 スマートフォンのカメラで撮影しまくっていたわたし。重電残量が規定値を下回りカメラがダウン。画面に表示されたのは「16:00」の文字。閉園時間も一六時。最後に見つけたのは一輪のこちらに向いた大輪でした。





2016年3月4日金曜日

アリマキの家族

 植物におびただしい数の虫がわいている。大きさは1ミリ未満から3ミリくらいで、色は白。

 祖母に虫がいると言っておいた。祖父はアリマキと教えてくれた。
 ありまき?
 後でインターネットで検索してみると、アブラムシのこと。アブラムシなら知っている。でもわたしが知っているアブラムシは緑色。

 樹液を吸い糖分を含んだ排泄物を出すため、蟻に守られる種があることからアリマキとのこと。薬物耐性が強く同一の殺虫成分では二度目は効かない場合があるらしい。

 そんなアリマキを見て感動したことが一つ。子供を一か所に集めてその周りを大きいアリマキが護衛している。草食動物が捕食者から身を守る行動と何ら変わらない方法で繁栄している。この虫達にも社会性があるのだ。

 すると祖母がやってきて、アリマキの巣となっている植物を採取、廃棄してしまった。そして残ったアリマキに殺虫薬品を散布する。

 数千の命が、社会が――、生きているだけで駆除の対象にされる虫。そう仕向けたのはわたしだ、と思ったとき罪悪感を感じずにはいられなかった。
 アリマキの駆除は想定できたし、想定できたからこそ祖母の大事にしている植物を守ろうと思って虫がいると言った。罪悪感を感じるから、自分では駆除できない、自分の心を最低限守りつつ、祖母の植物を守る行動だった。

 インターネットでアリマキを検索していると、生殖機能は一つの個体で完結して、自分と同じ個体を作り出すらしい。よかった、増えるんだと思いつつ増えたらまた祖母に言うんだろうなと思ってしまうのが不思議。 

2016年3月2日水曜日

音楽を聴く理由

 「こんな人と友達になりたくない」
 わたしのブログを発見した妹がこんなことを言っていたらしい。確かに政治の話は堅い・・・。反論できないわたし。そういうわけで、趣向を変えてプライベートな話。

 わたしのスマートフォンには2つの楽曲が入っている。この2曲を多いと思うか少ないと思うかは人それぞれだと思うが、わたし自身は満足している(大多数の人は少ないと思うかもしれない)。もちろん、音楽プレイヤーがなくても事足りるのでそんなものは持っていない。

 カラオケに初めて行ったのは一九歳のとき。
 仲良くしてくれた先輩に誘われて不安半分、未知の経験へのドキドキが半分で入室!そこで気が付く――持ち歌がない!音楽に興味を持たなかったわたしには、とても数時間歌えるようなレパートリーがなかったのである。わたしは2曲目を入力するよう言われて困った。
 よくよく考えてみればフルで歌えなくても歌詞が出るから歌える楽曲はあるのだが、よく知らないがゆえに、入力するのに二の足を踏んだ。結局、先輩の助けを借りながら、その場をやりきった。それでも思い返すと心がほっとして、大事にしてくれたその先輩をありがたく思った。

 話を戻すと、わたしの常備?している楽曲は2曲。その他にも好きな楽曲はあるので、趣味で聴くためのものなら、2曲というのは少ないと思う。だがわたしの用途には思い入れのある2曲で充分。
 わたしは音楽を、気持ちを高めたいとき、元気になりたいときに聴いている。本当に心に響く歌を大事に、ここぞというときに聞いて元気になるためには、わたしには何千曲、何万曲も入る音楽プレイヤーはいらない。だからわざわざ持ち歩く必要もない。

 わたしとは反対に、妹と弟(3人兄弟)の日常は音楽で溢れている。好きな音楽を聴き、録画した歌番組を何度も再視聴する。
 以前に妹が、ある楽曲に飽きたという話をしていた。音楽好きの弟は、好きな歌の歌詞をなかなか思い出せなかったり、本当に好きなの?と言いたくなるようなことも度々ある。
 ではわたしの兄弟は音楽が好きではないのか?ときかれると断然、わたしの比じゃないくらい音楽を好んでいる。わたしは、流行に乗る兄弟を、好みを持たないで周りに流されていると捉えて、本当に好きな歌はないのか?と疑問に思っていた時期がある。音楽に感動する基準はなんだ?そもそも何に感動を求めているのか?容姿端麗なヴォーカル?流行に乗っているという優越感?周りと一緒という安心感?或いは流行の歌を知っていることが一種のステータスになっているのか?
 妹が言っていたのは、「下手だけど頑張って歌うヴォーカルがかわいい」という一言。なるほど、聴いた人を感動させることができれば歌の上手い下手は関係ない。わたしと妹では音楽に感動する視点が違っていたのである。歌の上手い人はざらにいる、テクニックを見せつけても感動に至らなければ購入して聴く必要はない。歌詞をなかなか思い出せないで、新曲にどんどん乗り換える。それは楽曲の中身以上に、アーティストを支持するファン心理なんだなと思った。

 わたしは絶対的に支持するアーティストがないので、感情移入のできない楽曲には感動できない。だから自然に歌詞重視になり、そして心に響かなければ好きにはなれない。妹と弟はファン心理と流行にまかせて自分の「好き」を形成するタイプであるが、わたしは違う。

 だからといってカラオケで困らない程度の持ち歌は必要だと思うのも事実。興味がないのに人目を気にして覚えるようなことはしたくないが、新しいレパートリーは増やしてみたいとか思ったりもする。