恵まれた環境というものは、あれば気がつかないし、なければ、それに伴う不利な状況に苦労するものである。もちろん、興味はひとそれぞれに違っている。そのため、何を恵まれた環境だと考えるのかもまた、ひとそれぞれに違っていて、各々の主観による。以下、人生について、わたしなりに思うこと。
人生どうやったら面白くなるのか、ということは常に考えなければいけない。運がいいこととは、本人の望む機会が、外部から与えられている環境のことをいう。もちろん、それを生かすには、本人の努力が必要である。
反対に、運が悪いこととは、本人の努力や、才能とは関わりのないところでハンデを持つことである。努力をして、不利な状況を打開できなければ、その先にある本来の目的を達成する過程に、手を着けることすらできない。
わたしは、運がいいことの事例として、居住地が都会であることが挙げられると思っている。都会では、やってみようと考えたことに何でも手をつけられる環境がある。娯楽に際限なくのめり込むような事例も考えられるが、向上心があればチャレンジの機会がいくらでも与えられる。そういう意味で、都会は恵まれている。
例えば、芸能活動をしてみたい、競技人口の少ない運動をしてみたいと考えたとしても、田舎にいては本人の行動力に関わりなく機会はない。個人の能力とは関係のないところで、ハンデを負うことになる。
その他に、居住地によるハンデの事例として、賃金の格差がある。同一労働、同一賃金を求める声が上がるなかで、都会と田舎の賃金の格差は依然として、とても大きい。
都会の出身であれば、子どもの頃から高賃金のアルバイトができる。市販されている物品には、大抵、全国一律に設定された小売価格がある。そのため、高賃金は純粋に購買力の増加につながる。しかも、県外から単身、移住した子どもと比較しても、生活費のやりくりを考慮しなくて済むので、都会の子どもが有利な状況は変わらない。
更にいえば、都会にはアルバイトの種類も膨大にあり、企業の規模にも大きな開きがある。テレビ局による募集など、田舎には滅多にないような募集が、しかも、本社で行われる。こうした比較的優位が重なり、都会の子どもは、同世代の子どものなかでも経験面で評価されやすくなると思っている。
と、ここまでは、国内に限った話である。国外に目を向ければ、同じ時代に生きながらも、紛争地域での生活を余儀なくされている住民がいる。そのなかには、生きているだけで幸せだと考える住民もいるだろう。また、生きることに精一杯で、幸せを感じられる余裕のない住民もいるだろう。
わたしは、実際のところ、日本人として、現在の生活には満足していない。一方で、地球人としては、紛争地域の住民など、日々、生きることすらままならない彼らのことを知ると、生きているだけで恵まれているとも思う。わたしは、日本の出身であることを心から幸せに思っている。
ただし、日本に居住している以上は、運や幸せの度合いを比較する対象が国内にあることもまた、事実である。繰り返すが、恵まれた環境というものは、あれば気がつかない、なければ、それに伴う不利な状況に苦労するものである。わたしは、都会のよさに気がついたが、一方で、田舎のよさを見落としているのかもしれない。近年、都会の出身者が田舎へ移住する動向を考えると、やはり、田舎には田舎のよさがあるようだ。
結局のところ、居住地との相性は、各々の主観によるので、地域間の優劣はつけられない。以上の内容も、地域間の優劣を判断するものではなく、わたしにとっては都会の方が好相性ということである。わたしには、わたしの運があり、その度合いに応じた改善の可能性を探り、努力すること、これにつきるんだと思う。
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