2016年7月11日月曜日

投票してきました

 昨日、7月10日は参議院議員選挙の投票日でした。

 今回の選挙で、高知県は徳島県との合区がなされました。全国報道では、中央の視点から「一八歳選挙権」、「野党共闘」にばかり注目が集まりがちですが、対象地域の有権者にとっては「合区」が最重要問題です。高知県出身者として、両県がともに一人区なのに、合区で選出される議員の人数が減らされることに強い理不尽さを感じています。
 参議院議員選挙は3年毎に半数の改選であり、全体では2県で2人の議員は確保されます。しかし、1回1回の選挙でいえば、有権者各々の民意は議員1人分も反映されていません。一票の格差を是正するという理由で、地方の影響力低下が強まる極端な手段が実現してしまったように感じられます。県を跨いだ合区は、価値観や政治的な区分の異なる集団に択一的な政治観念を選ばせるものであり適用してはいけないと思っています。

 わたしの実感としては、選挙区あたりの有権者数が増えたことによる、単純な一票の価値の低下は殆ど意識していません。それよりも、政治単位の異なる地域(他県)と合区されたことによる、"一票の意味の曖昧さ"、"議員の地域代表としての価値の低下"を感じます。一体、誰のために投票しているのか、自分の地域の議員が選挙区内全域の市民の意思を反映できるのかと思ってしまいます。
 これについて、議員が1県の代表ではないので、政治の場で県の代表としての立場をとれるとは思えません。恐らく、両県に共通する価値観は反映しながらも、対立する価値観については明確な立場をとれない場面が出てくるはずです。そのため、多くの国会議員が地域の問題を国政に持ち込む中で、合区の議員は政党内の大勢の意見に依存しやすくなります。このような状況では、有権者は県の代表性の低い議員を選択せざるを得ないことで、国政では都道府県間の影響力の開きが一層大きくなります。

 わたしは日頃からひとの批判をしないよう心掛けていますが、今回の合区に関しては"愚策"だと思います。一票の格差を是正するために、一部地域の意見の集約に支障がでるような区割りをすることは民主主義を蔑ろにしています。
 数値上の格差に是正後の実質的な格差の変化を勘案して、場合によっては例外を設けることも必要なはずです。有権者数を分母にして、議員定数を分子にするような単純な関係式ではなく、県を跨いだ民意を正確に反映できない分、議員の代表価値は低くなるので、1未満の係数がかかるはずです。国家財政の赤字が膨らむとしても参議院議員の全体の定数を増やして、一票の価値の低い地域の定数を増やして、格差を是正するほうが適正かと思います。

 わたしは政治について強い関心がある方ですが、最近の政治報道については、かなり冷ややかな目で見ています。全国的な報道機関は、参議院議員選挙の合区をほとんど扱いません。この問題に限らず、特に、このところの東京都知事選挙に関する報道については、情報過剰です。いくら首都の知事とはいえ、全国報道で連日トップニュースになるような話題ではありません。
 一都道府県知事の、しかも候補者たちが届け出る前から"一候補者"に焦点を当てて大騒ぎしています。ましてや、国政選挙の期間中にです。 最近の報道は、あまりに中央集権が過ぎるように思います。全国報道であることを意識して、主観的な報道にならないよう変化を起こすには一体、どのような方法が必要なのかを考えさせられます。

 地方のテレビは東京で製作された番組が中心になりますが、全国区の放送局から発信される番組は、東京のローカルな情報に留まっていることが多いと感じます。それは報道番組以外についても当てはまることで、例えば、民放、特に地上デジタル放送を中心にして、連日のように東京のイベント、東京の飲食店の紹介がなされます。
 それらを全国の視聴者に勧めているとすれば、遠隔地の視聴者にあまりに失礼であり、理解に苦しみます。地方の視聴者からすると、遠隔地にある放送局の製作スタッフの主観で、連日、全国放送であることを意識していない情報を発信されることが、テレビ番組の視聴率低下の一因であるように思われます。

  田舎では、その地域独自の番組は少ないので、それゆえ、東京の番組への依存度は高まります。全国的な番組が楽しいと思うのかはひとそれぞれ、中央のローカルな番組が楽しいと思うのかもひとそれぞれです。
 しかし、東京の放送局は地域に向けた情報を発信する時間は確保しているのに、全国放送でもローカルな内容を発信しています。 そのため、東京の放送局には地域の視点を持って欲しい、全国放送として通用する番組内容なのかを客観的に見直して欲しいと感じています

 ただし、地域のイベントや飲食店の紹介とは違い、都道府県知事選挙の報道は必要だと思います。ここで問題なのは過度な報道であり、量的に過剰なほか、焦点の当てかた次第で、イベントや飲食店の紹介と何ら変わらないエンターテインメントのような性質に、更に行き過ぎると、特定の人物の失敗を不必要にピックアップして楽しむような軽率な内容になってしまいます。

 参議院議員選挙の話に戻します。

 わたしが投票所で比例代表の投票用紙を受け取りに行くと、立会人の女性が声を掛けてきました。「覚えている?」、そう言われて一瞬顔を見た後、名札に目が行ってしまいました。以前に通っていた中学校のクラスメイトでした。向こうは気が付いてくれたのに、自分は名札を見てしまった。しかも、その後、正直に「名札で分かった」なんて言ってしまった。その日、何度も、自分の失言を思い返して、気の利かないやつと思いました。
 わたしは、いずれ選挙の立会人をやってみたいと思っていたので、彼女のチャレンジが格好よく見えました。しかし、考えるより先に名札を見てしまった自分のとっさの判断が失礼で、失礼で、申し訳なく思えました。名札がなくても分かったと思うけれど、見てしまったから、そう言い切る確信は持てません。化粧がなかったら一瞬で分かったと思うよ、心の中で言い訳混じりに語りかけた。 

0 件のコメント:

コメントを投稿